法政大学国際高等学校

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沿革・略史

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沿革・略史

こは星空への道なり

中庭の「星空」の碑

本校の校門わきの小さな庭に、一つの石碑があります。そこには
「SIC ITVR AD ASTRA」、「こは星空への道なり」という意味のラテン語が刻まれています。「星空」とは、遙かな理想(あこがれ)の象徴です。本校はそれぞれの未来への出発点です。
「星空」の碑の原型は、日本近代文学史上に偉大な足跡を残した作家であり、本校の名誉校長である野上彌生子(1885~1985)が初めて生徒に講話を行った1951年に建てられました。この時、野上彌生子が講話の中で述べた「女性であるまえにまず人間であれ」は、長く本校の教育指針の一つとして、生徒を励まし続け、支えとなってきました。

潤光学園から法政女子へ

左より、久野タマ(潤光学園創始者)、入江直祐(法政女子初代校長)、野上彌生子(法政女子名誉校長)

本校の前身は1933年に久野タマ(1889~1985)により創設された潤光学園です。潤光学園は小規模の女学校でしたが、各分野のプロフェッショナルの教師陣を擁し、亡命ロシア人で「日本バレエの母」として名高いエリアナ・パヴロバ(1897~1941)も教壇に立っていました。戦時下にあっても「自由主義的」な気風を保ち、「英語(敵国語)教育廃止」の通達に対しても、相手をよく知ることが必要だとして授業を存続させたといいます。
1949年、潤光学園は法政大学に移管され、「自由と進歩」を掲げる法政大学の付属女子校となりました。以来、本校は、「自主性と社会性をそなえ、それぞれの個性と才能を発揮していける」ことを目標に、「生徒一人ひとりが学ぶ権利を自覚し、自由に物を考え、言葉と身体を使って自分自身を豊かに表現できる力を身につける」ことをめざし、2万人余の卒業生を世に送り出してきました。

そして、法政国際へ

2018年、本校は「主体的に学び、考え、行動し、多様な他者とつながる地球市民を育てる付属校」、性差を問わず受け入れる法政大学国際高等学校として、再スタートしました。2023年には潤光学園から数えて創立90周年、2024年には法政大学の付属校として75周年を迎えました。潤光、法政女子の歴史を引きつぎ、世界というステージで力強く、そして自由に活躍する力を育む「星空への道」として前進しています。

潤光学園・法政女子・法政国際高校略史

1933年
潤光女学院、北鎌倉に設立
北鎌倉の潤光学園(1935)
1936年
横浜市鶴見区(現校地)に移転
1947年
中等部設置。男女共学化(男子は2年間で募集停止)
1949年
法政大学に移管。校名「法政大学潤光女子中・高等学校」
1950年
野上彌生子、名誉校長となる
校章・制服の制定(制服は75年間一度もモデルチェンジすることなく、女子の「式服」(任意着用) として、現在に至っている)
旧校舎
旧校舎
1953年
「法政大学女子中・高等学校」と改称
1955年
「十月祭」開催(現在に続く文化祭。1961年「オレンジ祭」と改称)
1959年
生徒会機関誌「星空」創刊(現在まで続く)
1961年
広報誌「むぎのほ」創刊(現在まで続く)
「星空」の碑
朝の通学風景
1968年
選択科目「特別講座」設置(学校設定科目「地球市民」として現在に継承)
1969年
同窓会発足。中学、生徒募集停止
1971年
90分授業一部導入
1993年
中学、正式に廃止
1999年
創立(法政移管)50周年記念式典。「潤光学園創成の地」の碑を建立
2004年
「服装規定」改定(制服の自由化)
2015年
文部科学省より「SGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)」に指定(~2020年)
2018年
共学化。国際バカロレア(IB)校に認定。「法政大学国際高等学校」と改称
法政国際開校式
2024年
創立(法政移管)75周年

校章

スクールカラーのオレンジと水色を用いた校章。地の水色は清らかさと理性を、文字のオレンジは情熱と希望をあらわしています。左上のHは法政大学の伝統ある紋章、右下のSはSenior(高等学校)を示します。